Document : 小説『復活プロジェクト』Set List : LIVE『あした天気になぁれ!』
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History

 

小説『復活プロジェクト』
<PROLOGUE/復活っとく?>

2007年正月、久しぶりに信也が帰ってきた。
『会いましょう』と言うので、阿南を誘って3人で正月を過ごした。
彼が東京でまだ歌っているのを僕は知っていた。
『即席でLIVEをやれ』と阿南。
懐かしい、実に懐かしい歌声が響き渡った。
聞きながら僕は、何時かこいつのLIVEをプロデュースしよう。と思っていた。

かくして2008年10月11日、山下信也のBossa Nova Live は実現した。
かろうじて集めた120名の前で歌う信也は、まるで水を得たポニョのようだった。
歌もTALKも何もかもがあの頃のままで、特にステージで『はしゃぐ』という表現がぴったり
来る彼のパフォーマンスは、照明を担当していた僕の、客で来ていた阿南の、そしてもうひと
り、PA(音響)を担当していた阪田の心を当時に連れて行ってくれた。

LIVEが終った夜、信也が呟いた。
『今度は今村さんのLIVEをやろう!』
『どこかもっと小さい会場でも良いから、俺バックやるし…』
こんなにレベルが違ってしまった僕の為に・・・嬉しかった。
『ありがとう・・・』続けて出てきた言葉は予想外のモノだった。
いや、何年も前から心の片隅に芽生えていた言葉だったかも知れない。
『俺とお前が揃ったら主人公やん』
(今村引退後も主人公は続いていたので、これは間違った解釈で有る (_ _))

信也の戸惑いをよそに、話は、それこそ水を得た活け造りの鯛のようにぴょんぴょん跳ねた。
(活け造りの鯛に水を与えたら、ぴょんぴょん跳ねるかどうかは立証されていない)
僕と信也以外は変遷に変遷を重ねた(1984年以前の)主人公。
どのメンバーに声をかけるのか・・・とりあえず、一番ライブ本数の多かった1981年前後に
活動していたメンバーで、今でも連絡を取りあっている者、に絞らせてもらうことにした。
(他のメンバーの皆さんごめんなさい)
まずは阿南。『乗る?』『楽しみ〜』感づいていたように二つ返事で乗ってきた。
そして阪田。『乗る?』『う〜ン、ちょっと…』『よし!決まり!』
まるで決定事項だったかのように強引に『復活!』は決まっていった。



<第1章/日程は決まった。さて…>

『主人公でやる以上、当時、応援してくれた皆さんに連絡をしないのは失礼に当たる』
1981〜84年当時、チケットの半券に住所を残してくれた方々を、名簿の形にして僕は大切に
保管していた。まるでこの日が来ることを分かっていたように・・・
その数、1040名分。

2008年11月23日、阿南と第1回のミーティングを持った。
その席上、僕は名簿に年賀状を出すこと、LIVEは土曜日じゃなければならないこと、編成のこと
等々、溜め込んだ色々な計画を一気にまくしたてた。
決まっていないのは日程だけだった。
『日は?、いつにする?』と阿南。
『いや、年賀状の返りや、ホームページを立ち上げたりして、当時のみんな、何人くらいに連絡
が取れるか確認してから会場を決めたい』
『主な会場は1年前に予約がいること、お前が一番良く知ってるやん』と阿南。
俺は、その主な会場のひとつに勤務しているから、その辺の事情には精通していた。
土曜日となれば尚更である。
『1年前に予約がいる以上、そんなことしとったらいつまでたっても実現せえへんで!』
少し後ずさりした僕を阿南は笑って見ていた。
そう、これこれ!。慎重(臆病)な僕の背中を大胆な阿南はいつも押してくれていたのだった。
『お前を誘って良かったよ。お前がいなきゃ出来なかったよ。その代償に音楽と呼べるものでは
なくなるかも知れないけど・・・』と悪態をつく僕。
『お前がやる時点で音楽ライブにならないでしょうが・・・』応戦する阿南。
では・・・ってことで、万が一、万が一だけど、当時、応援してくれた皆さんがたくさん来てく
れた場合、入れない、立ち見ではお話しにならない。と言うことで最低200、最高500のキャパ
を持つ会場を、2009年12月の土曜日に絞って探すことにした。

目星をつけたいくつかの会場の抽選日は12月1日、2日、3日。
抽選に参加出来ないとお話にならないところだったが、その3日間の抽選時間帯全てに於いて、
偶然にも僕の仕事のスケジュールは『お休み』だった。追い風が吹いていると感じた。
かくして、、、

日時:2009年12月5日(土)
場所:クレオ大阪東(環状線京橋駅から徒歩7分)

に決定した。(使用料の入金を待ってくれるから。という理由で)



<第2章/年賀状DM>

さて、どうしたものか・・・
1040名の名簿を前に僕は、ただただ途方に暮れていた。
25年以上も前の名簿である。郵便番号が3桁だ。
区画整理、統合などでいたるところの住所が大幅に変わっている。
『悩んでてもしゃ〜ないで』阿南が夢の中でささやく。夢の中で、である。耳元ではない!。

3桁の郵便番号を郵便サイトで7桁に変換 x 1040。同時に見当たらない住所はネット検索で分かる範囲で適当に書き換えた。大淀区 → 北区、京都府綴喜郡 → 京田辺市、など山ほどあった。
堺市に至っては全てが『区』編成になっていた。(例:堺市深井中町 → 堺市中区深井中町)やりだすとそこは凝り性のため、1軒1軒をGoogle地図で検索、ピンポイントで表示される住所を中心に800軒に絞り込んで宛名書きを始めた。
宛名書きを始めた・・・そう、宛名は手書きで出そうと思っていた。
あらゆる詐欺が横行する昨今、せめて宛名くらいは手書きにしないと裏面を見る前にゴミ箱行きになりそうだったからだ。

奈良市宝来町という住所がある。いや正確にはあった。
その旧宝来町に4人の見覚えの有る名前があった。
とてもお世話になった記憶があり、旧住所は今は何番地なのだろうと追跡調査を始めた。
管轄の郵便局に問い合わせたところ、市役所に問い合わせろとの指示(役所かぁ〜、う〜ん)住所表示課だったか(…違うな…)、とにかく『そんな課あるんや!』って課に電話をつないでくれたが、案の定、邪魔臭そうに応対された。…が、しかし、邪魔臭い訳ではないということがすぐに判った。
『27年前に奈良市宝来町○○○番地だった所は現在、何町何丁目何番地か教えて・・・』
『う〜ん、それは……』(如何にも怪しい質問への警戒と個人情報保護法も頭をよぎったか)
2〜3言のやり取りの後、
『いや、現在そこにどなたがお住まいなのかを知りたいのではなく・・・』と粘っていると、
『ちょっと待ってください』・・・・・
『当時、その住所にどなたがお住まいだったのですか?』『どんな漢字ですか?』
こちらに情報を言わせる形で話を進めてくれた。
『その方なら確かに当時お住まいでした。1989年に○丁目○番地に変わってます』
『但し、1989年に変更になった時点の情報です。それ以降のデータはこちらにありません』

心が躍った。なんてことはない情報なのだが、何故だか心が躍った。
ついでに、別の住所で変更になっているようなところも教えていただいた。
ついには、『その住所には今は別の方がお住まいです』ってなことまで教えてくれた。
葉書が一枚助かりました。ありがとうございました。
他の地域の役所では丁寧な応対だったが,希望するような答えは一切返してもらえなかった。
改めて、奈良市役所の担当のオジサン(こっちの方がオジさんだが…)ありがとうございました。



<第3章/ありがとう>

さて、近年稀に見る楽しみなお正月を迎えた。
800通出した年賀状にいったい何人の方がアプローチして下さるのか・・・
何通が宛名不明・不完全で戻ってくるのか・・・(むしろこっちが楽しみだったりして…)

結果から話すと、約300通が『宛てどころに尋ね当たりません』『宛どころ不完全のため配達
出来ません』で戻ってきた。
当時の住所に届いているであろう500通のうち、コンタクトをとって下さったのは約50名。
28年前の名簿だ。一口で28年と言うけれど、それはそれはもう気の遠くなるような数字だ。
産まれたばかりの子供が母になり、もう小学生の親かも知れない28年。桃栗3年柿8年。
あの川沿いに植樹された桜がもう立派なお花見ポイントになっているであろう28年。
誰かさんのウエストや体重が2倍に膨れ上がってしまう28年。(人はここまで膨れる!)
なのに約50名もの方が『主人公』を覚えて下さっていただけでなく、わざわざコンタクトを
取ってくださり、『再結成楽しみです!』『絶対に行きます!』とまで言って下さる。
アマチュアのまま終ったのに、何て幸せなBANDなんだと思った。

『まだ、きっといらっしゃる!』そう思えるようになってきた。
500通が当時の住所に届いている。1割が郵便局で迷子になっていたとしても、400人の方々
がまだ、コンタクトを取れずにいる。(“取れず”というあたりかなりポジティブだ)
勿論、1度しか行ったことがないし、主人公って名前さえ見覚えがないのに、半券に住所を残
したばっかりに怪しいDMに悩まなければならなくなった人達も山ほどいるとは思うけれど…。
それにしても、旧姓で、ご本人はその殆どが嫁いでしまっている実家に唐突に届く訳だから、
怪しいことこの上ない。ご連絡を取って下さったご実家の皆さん、ありがとうございました。

何はともあれ、コンタクトを取って下さった50名の皆さん!。本当にありがとうございます。
皆さん、覚えていて下さって、未だに聞くことがあるって言ってくれているだけでもスゴい事
なんですが、中には娘と一緒に歌えるって方まで出現して、嬉しいやら恥ずかしいやら・・・

このプロジェクトのために昔の音源を引っ張りだして聞いたけれど、誰にも聞かれていないか、
思わず辺りをキョロキョロしてしまうくらい、音が外れまくっていた。(〃▽〃)
デジタル時代の子供たちに聞かれると、耳まで赤く、いや髪の毛まで赤くなりそうだ。
ま、髪の毛全てが赤くなったとしても、遠目に見れば肌色が勝つくらいの本数だけれど・・・
・・・あ、うそです。・・・でもまだライヴは半年先だし、本当にそうならないか不安で一杯です。(笑)



<第4章/(episode)感動の郵便局>

大阪難波から南に1時間くらい行ったところに橋本市及び伊都郡という街々がある。
真ん中を紀ノ川という大河が流れる、南に高野山を配した、実にのどかで時の流れの緩やかな場所。
初期の主人公、第二の故郷と言っても過言ではないくらい大切な街で、そこにはなんと名簿にして約170名もの方々がお住まいになっている(正確には『いた』)。
なんと言っても、チケットの半券というごく限られたスペースに住所を書き残すのである。
あまりたくさん書けない。(笑)
いやいや、それが理由って訳でもないであろうが、実に約40名の方々が地名に続く番地を書いていらっしゃらなかった。(例:伊都郡九度山町九度山、のみ記されていた)
ただ、それでも届くのがのどかな街の嬉しいところで、その40名中、『宛名不完全で配達できません』で返ってきたのは僅かに5通(すべて橋本市内)、『宛てどころに尋ね当たりません』を含めても合計9通しか戻ってこなかった。約30通が番地なしでも届いたって事。
橋本・伊都郡の郵便局の皆さん、スゴい!感動した!。(古い)

もっとスゴい事が有った。
3章の最後に出てきた、娘と一緒に主人公の歌を歌えるって方へのDMのコト。
この方、当時は九度山にお住まいで、現在は嫁がれて橋本市内にいらっしゃいます。
年賀DMを出したそのご住所は、半券の狭いスペースに番地までキチンと書いて下さってい
たのですが、実はご両親を早くに亡くされて、その住所には現在、もうどなたもお住まいに
なっていない、とのこと・・・。これ即ち『宛てどころに尋ね当たりません』。
ところがどっこい、アッパレな郵便局員さん。
その『宛てどころに尋ね当たりません』葉書は、元旦から遅れること3週間、見事、彼女の
嫁ぎ先に届けられました。すんご〜い!(苗字も変わってるんですよ!、すんご〜い!)

誰も住んでいない住所あてに出された葉書、それを過去その場所に住んでいた方に、それも
世帯主ではなく、その家のお嬢さんに、更に、それも嫁ぎ先に届けてくれたのだから・・・
個人情報保護にうるさい時代だから、凄いことこの上ない!。

九度山町九度山だけの人が7人いて、そのことごとくがどうやらキチンと届いている。
そういうのが合計30通。
一枚一枚にそんな努力をしてくれたのだろうか・・・と想像して、涙が出るほど感動した。

きっと、皆さんの想いの強さが郵便局員さんを動かしたんだって、そう思うことにした。
地元の郵便局員さんで40代半ばの人なら、“主人公”知ってくれていたかも・・・
そう思うと、ますます楽しくなってきた。



<第5章/(episode)最初のモチベーション>

ここに、今回のプロジェクト立ち上げの最初のモチベーションになったエピソードの持ち主がいます。

彼女との初めての出逢いは、僕と信也と阿南の3人がアルバイトでステージを勤めた、北海道行きのフェリーの船内だった。
片道30時間をかけて敦賀・小樽間を運行してたそのフェリーの船内で、僕たちは日に2度、1時間足らずのステージを任されていた。
お客さんはその殆どが、トラックの運転手だったか・・・(覚えていない)
折しも高校野球真っ盛りの夏のお昼、歌なんか、それも下手クソなフォークソングを聴く人なんか殆どいなかった。

そんなお客さんたちの中に、ひと際、瞳を輝かせてこちらを見つめているひとりの少女がいた。
彼女こそ、今回この復活プロジェクト立ち上げの、最初の大きなモチベーションになった『史上最強のおっかけ』さんだ。
それ以降は勿論、主人公のコンサートに通い、活動停止が決まった後も『主人公はプロになる』と信じて、どこかで逢えるかも知れないと、キャビンアテンダントを目指し、見事に狭き門をくぐり抜け、プロになっていない事を知ると、今度はどこかの小さいイベントで出逢えるかも、という、ごく僅かな可能性に賭けてイベント司会者に転身。
想い続ければ願いは届くモノで、インターネットの世の中に・・・
ダメ元で検索した『山下信也』がヒット!。
かくして、再び、そのパイプは繋がったのであった。

そして序章で出てきた昨年10月11日の Bossa Nova Live に “当然” というか “やはり” お越しくださり、ついに主人公そのものと繋がる事となった。
『あのフェリーの船上から約30年、片時も忘れた事はなかった。もう一度逢える、もう一度聴けると、信じて疑わなかった』
このメッセージに突き動かされる形で、いろんなことが具体化して行った。

余談であるが、当時片道30時間のフェリーの船内はとにかく暇で、僕たち3人は持って行ったお小遣い、返りの電車賃を残してその全てを、船内のゲームセンターで使い果たしてしまった。
見るに見かねた船長さんが『これで札幌に行ってラーメンでも食って、想い出作って来いや』と、ポケットマネーで5000円をくれた。 船長さん、ライブに招待する事は出来ないけれど、この場を借りて、もう一度『ありがとう!』

いろんな人のいろんな想いを乗せて、いよいよプロジェクトが動き出した。
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Set List

 

主人公 LIVE ALBUM 2009 『あした天気になぁれ!』
(2009年12月5日16:00開場/17:00開演atクレオ大阪東)
 『忘れないで・・・』過ぎてゆく日々の中で、悲しいけれど、人はあらゆる事を忘れながら生きています。が、しかし、僕たちは忘れてはいけない事も同時に沢山持っているんじゃないかと思います。
 限られた文章の中で全てを書ききる事は難しいですが、今回、この復活プロジェクトに僕を駆り立てたのは『忘れたくない』が大きな理由のひとつでした。
 僕は皆さんから戴いた激励・情熱・勇気・感謝・愛情、そして沢山の笑顔を決して忘れたくはありません。もう一度胸に刻み付けるために今回の復活となりました。
 僕は決して『忘れません』
<Guest anan(by BASIL)>
1.カタストロフィー
2.TRAIN
3.自転車
4.ランドセル

<主人公 Restoration Stage>
1.彷 徨(さまよい)1982
・エンディングの“キメ”がだいたいで決まって(笑)みんなホッとした筈。これで“やれる”って思ったかも・・・

2.AMERICAN GAL
・久しぶりにBANDで歌ったけれど、キチンと歌えていただろうか。いつもいつの時もそればかりが心配

TALK
・かなり緊張。ノッケからいけてないTALKでとっても残念です。流れるようなイメージで挑んだのですが・・・(>o<)

3.通り過ぎた20歳の雨
・あの頃、下手クソだったけれど良く練習した曲です。やはり練習って偉大だな〜と思いながらの演奏でした

4.雨のモノローグ
・信也君が初めて歌いだしを『わけもなく』と歌いました。僕が残している過去の音源では全てが『ワッケもなく』でした。大人になったなぁ。(笑)

TALK
・『通り過ぎた20歳の阿南』から始まる乗りがとっても良いです。スムーズさを欠く場面もありましたが“及第点”でしょうか (^^

5.ジェラシータイフーン
・コーラスの練習はやはり間に合いませんでした。ごめんなさい

TALK
・途中でつらくなってきました。なかなかイメージ通りには行かないモノです

6.リップカレント
・メロディーが秀逸なのでサビのハーモニーは予定になかったのですが、阪田が歌いだしたので僕も少し付けてみました。ヘタクソでした、ごめんなさい。m(_ _)m

TALK
・ひとつ前の辛かったTALKを引きずってまたしても辛くなってしまいました。この辺りから何をやってるのか分からなくなりました。(>o<)

7.ギャング
・あの時、歌いながら『何が何だか分からなくなってしまった』のは、ひとつ前、ふたつ前のTALKの反省やショックを引きずっていたせいだったんだ。と、録音した物を聞いて納得しました。ブランクって恐ろしいです。

8.ハッとしてシャッフル!
・『訳が分からなくなっている』うえに楽譜に書いたメモの間違いに気付いて狼狽えました。『!!ピアノソロの紹介飛ばしたか!』と焦ったら実は3番を飛ばしてしまっていた。『ピアノ!』って振った瞬間ソロに変化した山田さん。凄いな〜。譜面と違うのに併せたみんなも凄いな〜

TALK
・ひきずってしまって自分ではもっと上手くお話し出来る筈だったのですが・・・『あした天気になぁれ!』メイントークだった筈なんですが…

9.トライアングル
・一番苦労した曲です。よくぞここまで・・・みんなありがとうね

10.愛の中で 2009
・ごめんなさい。消化不良だったんじゃないかな?。ホントはもっとキチンと大合唱してもらうつもりだったのですが…企画不足です。m(_ _)m

en1.Sunday All Night Dancing〜OPENING
・この曲をここに置いたのは失敗だったかと思ったくらいヘロヘロでした。〜オープニングはどうしてもここに置きたかった曲です

TALK
・最初は一旦引っ込む予定でしたが、時間の無駄と思いTALKのアンコールとなりました。

en2.うさぎの瞳
・これをここに置かなければ何も始まらないくらいに思っています。みなさんの心に何か届きましたでしょうか。

en3.September Valentine(伴奏/Pf のみ)
・アカペラでの挑戦は原点に帰るモノです。練習不足は隠せませんでしたが忘れられないモノになりました。ありがとうございました。

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